「現実を無視」し始める、ナイスタイミングと対策。
(自分の変化の記録_備忘録)
「選択する」とか、
「待つではなくて、選択する」とか、
「確定する」とか、
「確信する」(信じられる)とか、
が、判った今だが。
過去には、
下段の内容は
「文字面では、理解出来るけれども…」
“分かったフリ” だった様な。
“不足(不安)を感じているが、感じなかったフリ”
だったのだが、
現在、
「ああ、理解出来る。何を言っているか、よく判る。」
になった。

から引用しました。
出典:
今この瞬間を全力で体験する⑤その2
https://youtu.be/20f3t7LrNbM
再生時間 00:04~04:37 辺り
108ザ・チケット
=========
質問者 ケイタさんからの、ご質問です。
「適切性と一致する」これをしてから1年以上も実践していますが、
1年以上経ち、実践もしていますが、効果がありません。
“そこ” を疑う。
人によっては、効果があったり、なかったりとは聞きますが、
疑ったら “そこ” が消えたり、願望が叶ったり、となると、
人間誰しもコントロールしたいと思ったりするので、
ただ単に、疑いにくくなって、
人によって、効果にバラつきがあるのは仕方ないと思いますが。
ですが、
「適切性と一致する」やり方は、私は間違っていないと思うのです。
願望実現とは関係なしに、
「今、ここでの自分にとって、一番良い形は、どんなだろう?」
「それと一致したいな」と、思いを馳せて。
ふわ~って暖かくなり。
普通に戻ります。
が、“効果” がありません。
「適切性の一致」は、
この “感覚” になってしまえば、誰でも、
願望実現とは関係ないことかもしれないが、
完璧な「充足」が、訪れると思っていました。
ポイントを完璧に抑え、自分のやり方は、間違っているとは思えないので、
完璧な「充足」を、経験出来ないのはおかしい! と思っています。
「適切性と一致する」を、
108さんの言う通り行っても “効果” が出ないのは、どうしてでしょうか?
「適切性と一致する」は、
どんな観念があろうが、関係なしに機能するものだと思っています。
お答えいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。
(108さんから回答:)
はいはい。
これ、重要ですね。
これ、お答えしなきゃいけないやつですね。
「私のやり方は、間違っていないと思う」と、おっしゃってますが。
「効果がありません」
って、おっしゃってますよね?
ここだと思うんです。
“効果” 期待しちゃってるじゃん?
っていう。
だから、“効果” の話、じゃないんです! ってお話を、
私(108)は、してますよね? 「適切性の一致」とは、で。
何らかの行為的な…、
そりゃ、結果として、そうなりますけども…。
最初に、
念頭に、
“効果” ってことを、
前提に置いちゃうと、
もう、確認してる時点で、オカシイ事になっちゃうんですよね。
だって、
そういう事と『無関係な次元の話』なんですから、ってお話なんです。
「適正性と一致」と言うのは。
それなのに、
「あれ? “効果” 出てないじゃん!?」
となっているのは、
何らかの、やった事へのフィードバックが
「現実に現れて来なきゃオカシイ!」
と、
「好意的な形で!」
と、
思っていると、
それは、もう、
コントロールするのと同じ事になっちゃうんですよね。
そうではなくて、
もう、無関係だと、完全に。
この現実の現象とは、
全く、無関係に、
「何だろうな~?」って、思って居て下さい。
実際に。
ケイタさん(質問者)は、
ふわ~って、暖かくなってる訳ですよね?
その時は。
と、言う事は、
その時に、離れているんですよ。
現実世界の、近視眼的な、視点をギューっと握ってるところから、
パッと離れて、楽になっているんですね。
それがまさに、
「実像に一致」した視点、
「実像に一致した感覚」なんです。
それでいいんです。
それは、
「現実に、どう現れてくるか?」
じゃなくて、
「それが、どの様にフィードバックされてくるか?」
じゃなくて、
その時に、
「実像に触れているから、良かったナ♪」
なんです。
それで、
後は、普通どおりにしてください。
普段通り、これまで通りで構いません。
これまで通りだから、別に現実は変わらなくても構わないって事なんです。
ところが。
「いや! 現実変わらないと、いけないだろう!」
「“適切性と一致” をやってるのに!」
となると。
それは、全く同じ事です。
荷を降ろして(ギューと握っているところから、パッと離れて楽になっているのに)、
“そこ” を、ダウンさせているのと同じような事になってるんで。
この部分だと思います。
完全に無関係と、切り離してください。
これは何か “効果” を出すために、やる事じゃないんだと。
説明で、そういった表現はしてますけど、
「充足」として現れて来ますよと、
「適切性と一致」したら、完璧な「充足」が現れて来ますよ…と、表現しているけれども。
でも、
それを念頭に置いちゃうと、
『これを結ぶ直線が、結ばれるのはオカシイみたいに、なっちゃう』んですよね。
間違いなんですって、事です。
ただ、その、
ふわ~って、暖かい、
「あっ! これか!」
「これが実像に触れた感覚なのか! 良かった♪」
と、なってください。
そこで、完結してください。
また別のタイミングで、
「適切って、何だろうナ?」
と、また、
ふわ~っと暖かくなって、
「あ、これか!」
と、
「実像と一致した。また触れた、いいな~♪」
っと言って。
「良かった~♪」
となれば、
もう、これで終わりでしょ。
完結でしょ。
何かの現象と、関連して来ない訳ですよ。
その様に、なっていれば。
実像に触れて、それだけ実像に触れてる頻度があるんだったら、
体験も絶対に、実像が反映してく事になるんだから。
さっき、
おっしゃった様な、摩訶不思議な事が起きて、
完璧な事象だ~♪ みたいな事になってくるんです。
それを、関連付けようとすると…。
僕たちの世界って、
関連付けられない事なんですよ。
『上からの采配』みたいな事で。
勝手に整って。
「バーン!」って、もう…。
もう、もう全部「スト~ン!」って。
もう「どうぞ!」って、来るような…。
そういう風に、なるんですね。
これ、どうやっても、自分がやった事じゃないって形で、現れて来るんです。
自分のコントロール「外」の事なんですね。
そこに(実像に)、今、触って、アクセスしてる、って事なんです。
それは、
「このタイミングで寄こせ!」
とか、
「自分が待ってんだから、現れなきゃいけない!」
とか、
そういう事ではなくて。
もう全然、その論理の「外」なんです。
だから何というか…、
全く関係ナシにして「適切性と一致」は、
もう、そういう事、関係無いモノなんで。
ただ、
「何だろうナ~?」
と、思うだけにしてください。
それで、完結させて。
後は、普通どおりにしてください。
「無関係」って事です。
私の場合は、
3、4度、
絶対的な幸福感(安堵&安心&幸福感)
(※人によっては、麻薬や、エクスタシーとも表現する)
を、体験しても、
その後どうしていいか?
どう過ごしていいか?
が、分からなかった。
↓↓↓↓↓
で、質問者さん(ケイタさん)の様になってしまって、
次の絶対的な幸福感(安堵&安心&幸福感)に出会えるまで、ウロウロしている日々であった。。。
108氏の言う
「その後は、普通どおりに過ごしていてOK」
なんですけど。
次の絶対的な幸福感(安堵&安心&幸福感)に出会えるまで、ウロウロ状態は、けっこうキツかったっす。
だって、
どーしても、
願望や、
不足(不安/恐怖)が、
チラチラしてしまうんだもん。。。
人間、
何かをやっていれば、気が晴れる(余計な事を考えないで居られる)訳だ。
だから、どうせ、“この後に必要となった理論” を、学んでみてはどうか? と、かつての私に遭えるなら、今の私は、その様にアドバイスしたいと思う。
過去の私に、今の私がアドバイスするとしたら、
「現実は幻」って事、ぼんやりとは理解しているんでしょう?
だったら「現実は幻」論を、深めていたらイイよ!
と、アドバイスするな、、、。
次回、
「現実は幻」論を、深めていたらイイよ!
を、UPしようと思う。
#108さん,#108さん,#適切性と一致する,#不足を疑う,#宇宙意識

コメント
コメントを投稿